2009年02月09日
石川の被爆者からの情報
手紙をおくってから数日後、石川県の被爆者、中田さんより返事をもらった。
それによると、石川県の被爆者組織から呼びかけられ、自分も数枚書いた。
石川県内で30数枚はあった。
東海・北陸の各県の絵とあわせて70~80点余を巡回させて、
金沢市・七尾市・輪島市・松任町など県内各地のデパート・図書館などで
絵画展を開催したそうだ。
貴重な絵画は、各県を巡回し、さらに大阪に貸し出されたが、
展示中に不幸にも火災に見舞われ焼失してしまった。
中田さんのかいた絵も焼けてしまった。
しかし中田さんは、石川県で展示しているときに、一枚一枚を写真におさめていた。
おそらく、愛知県などの被爆者のかいた絵が、たくさん含まれているだろう。
このうち石川県の被爆者で医師の清水さんの油絵は、輪島市に寄贈されており、
焼失をまぬがれたそうだ。
まだどこかに、保存されている絵があるかもしれない。
また同じ頃、1974年に広島のNHKが市民に原爆の絵をかこうという
呼びかけがあったことを教えていただき、そのブックレットを送って
いただいた。
それによると、石川県の被爆者組織から呼びかけられ、自分も数枚書いた。
石川県内で30数枚はあった。
東海・北陸の各県の絵とあわせて70~80点余を巡回させて、
金沢市・七尾市・輪島市・松任町など県内各地のデパート・図書館などで
絵画展を開催したそうだ。
貴重な絵画は、各県を巡回し、さらに大阪に貸し出されたが、
展示中に不幸にも火災に見舞われ焼失してしまった。
中田さんのかいた絵も焼けてしまった。
しかし中田さんは、石川県で展示しているときに、一枚一枚を写真におさめていた。
おそらく、愛知県などの被爆者のかいた絵が、たくさん含まれているだろう。
このうち石川県の被爆者で医師の清水さんの油絵は、輪島市に寄贈されており、
焼失をまぬがれたそうだ。
まだどこかに、保存されている絵があるかもしれない。
また同じ頃、1974年に広島のNHKが市民に原爆の絵をかこうという
呼びかけがあったことを教えていただき、そのブックレットを送って
いただいた。
Posted by ディレクターD at 13:00│Comments(0)
│原爆絵画
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